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仙台高等裁判所 平成2年(ネ)452号 判決 1992年1月31日

主文

一、本件控訴を棄却する。

二、控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取り消す。原判決別紙遺言書目録記載の遺言書による亡齋藤景雄の遺言は無効であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人らは主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加するほかは原判決の事実摘示及び本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の補足的主張)

一、本件遺言書には、以下のとおり偽造を疑わせる不自然な点が多々存するから、亡景雄の自書したものとは認められない。

1. 本件遺言書の重要な部分である一枚目の表題の「遺言書」の「遺」の字に不自然ななぞり書きが見受けられる。

2. 右一枚目の本文末行「雄と」の箇所に、亡景雄名下や契印として押捺されている角印と全く異なる長円型の「齋藤」の印影が押捺されている。

3. 本件遺言書は直接ボールペンで書かれたものでなく、カーボン紙によって複写されたものである。

4. 本件遺言書の四枚目はその内容及び作成名義からして亡景雄の妻である被控訴人齋藤ケシの遺言書であるのに、一ないし三枚目の亡景雄の遺言書部分と契印され一体のものとなっている。

5. 本件遺言書の三枚目表の契印が二箇所あるのに、これに対応する二枚目裏面の契印は一箇所しかなく、しかもそれらは同一の印章によるものではない。またその三枚目裏と四枚目表の契印がずれている。

6. 本件遺言書は、仙台家庭裁判所気仙沼支部において検認される前に既に開封されていた。

7. 亡景雄は、明治三一年生まれのため度量衡はもっぱら尺貫法を用い、メートル法でしかも「m2」などと表記することはなかったのに、本件遺言書では土地の面積につきすべて「m2」により表記されている。

8. 本件遺言書の一枚目の「気仙沼市字岩月台ノ沢」は、同二枚目九行目の同一記載とほとんど重なり合う配字、字画構成となっており、用いられている用紙が薄手であることと照らし合わせ、手本となる記載に重ね書きした形跡がある。

9. 本件遺言書で亡景雄は、被控訴人齋藤清重と同齋藤良子に対してのみ同人のめぼしい財産を遺贈しているが、同人には一〇名と多くの相続人がいるし、それら相続人との生前の交際状況などからすると、本件遺言書のような内容の遺言がなされるとは考えられない。

二、原判決は、本件遺言書を亡景雄の筆跡と同一と判断しているが、本件遺言書について検討すべきなのは、遺言者以外の者が自分の筆跡を隠して遺言者の筆跡に似せて書いた偽造筆跡(いわゆる偽筆)か否かについてであって、作為のない筆跡の同一性についてではない。偽造筆跡である場合には真正の筆跡と配字、字画構成、運筆が酷似するのは当然のことであるから、偽造筆跡の場合でも違いが生ずる始終筆部、転折部などの細やかな部分について顕微鏡的検討をなし、さらに書面全体の外形、内容等を総合的に検討してその真否が判定されなければならない。しかるに、これらの検討をせずになされている原判決には重大な事実誤認がある。

三、民法が自筆証書遺言について、遺言者による全文の自筆を要件とした趣旨は、自筆による筆跡は偽造しにくく、遺言が遺言者の真意に出るものであることが比較的容易に判別できるところにあるが、カーボン紙による複写では、真筆ないしコピーのような手本となるものをなぞれば、容易に真筆と配字構成、字画構成、運筆が同一の筆跡を顕出することができるばかりか、筆記具によって直接書いた時には明確になる筆圧、筆勢が不明になってしまうため、後で真正な筆跡であるかどうかを判別することは極めて困難となることが明らかである。その意味で、カーボン紙による複写には偽造の危険が大きく、その危険が定型的につきまとうということができる。そうすると、自筆証書遺言につき、遺言者の全文自筆を要件とした前記趣旨に照らし、カーボン紙による複写は自書に当たらないと解すべきである。

理由

当裁判所も本訴請求を認容すべきものと判断するが、その理由は次のとおり付加訂正し、削除するほかは原判決の理由と同一であるから、これを引用する。

1. 原判決七枚目裏一行目の「三枚目」から同二行目の「記載」までを、「一枚目から四枚目までいずれもカーボン紙により複写」と改め、同四行目の「尋問の結果」の次に「、当審における鑑定の結果」を加える。

2. 同八枚目表一〇行目から一一行目にかけての「していこと」を「していること」と、同裏一〇行目の「本件遺言書」から「複写であるが、」までを「本件遺言書は、前記のとおり全部カーボン紙を用いての複写によって作成されたものであると認められるところ、」と、それぞれ改める。

3. 同九枚目表四行目から五行目にかけての「本件遺言書三枚目も」を削除する。

4. 当審における控訴人本人の供述によるも、本件遺言書は亡景雄の自書であるとする原判決の認定判断を覆すに足りない。

5. ところで、控訴人は、本件遺言書には偽造を疑わせる不自然な点が多々あり、亡景雄の自書したものではないと主張する。

しかしながら、その主張の一4の本件遺言書の四枚目は、確かに作成名義が被控訴人齋藤ケシであり、その内容も同女作成の遺言書のごとくであるが、それは乙第三号証、原審被控訴人齋藤善三郎、同齋藤ケシ各本人尋問の結果並びに当審鑑定の結果によれば、原判決認定のとおり(九枚目表七行目から同裏三行目まで)亡景雄の自書と認められるのであって、被控訴人齋藤ケシはその作成に全く関与していないことが認められる。同5についての控訴人の主張は、表面の契印がその裏面にまで表れている乙第三号証の写しだけを見ての主張であって、原本によればその主張事実は認められない。同7については、その主張のとおり本件遺言書に「m2」の表記が用いられているが、原判決説示のとおり、亡景雄が従前「m2」の単位記号を使用することはなかったとしても、遺言書の作成に当たって、不動産登記簿謄本の表示のとおり記載したということも十分考えられるのであるから、本件遺言書に「m2」の単位記号が使用されていたからといって、亡景雄の作成と認める妨げになるものではない。同8については、相互の筆跡を対照すると、その主張のように、本件遺言書の一枚目の「気仙沼市字岩月台ノ沢」と、同二枚目九行目の同一記載とがほとんど重なり合うとは認められない。同9については、その主張のように亡景雄には一〇名の相続人がいるのに被控訴人齋藤清重と同齋藤良子に対してのみめぼしい財産を遺贈したことになるが、右被控訴人夫婦は、控訴人らや亡景雄の長男らが同人のもとを離れていわゆる跡継ぎがなくなったので、その跡継ぎとして昭和五五年九月ころ東京から同人と被控訴人齋藤ケシ夫婦のもとに移り住んだなどの原判決認定(七枚目裏五行目から一〇行目まで)の事情に照らすと、この点も特に不自然であるということはできない。その他の同1ないし3、6についてはその主張の事実が認められるが、そのことから直ちに偽造の疑いがあるということはできず、それらの事実の存在は、本件遺言書が亡景雄の自書であるとする原判決の認定判断を覆すに足りない。

したがって、控訴人の前記主張は採用できない。

6. 次に、控訴人は、本件遺言書で問題となるのは偽造筆跡か否かであるから、始終筆部、転折部などの細やかな部分について顕微鏡的検討をなし、さらに書面全体の外形、内容等を総合的に検討してその真否を判定しなければならないと主張するけれども、原審及び当審鑑定の結果を合わせると、その主張の顕微鏡的検討の結果によるも本件遺言書の一ないし四枚目はいずれも同一筆跡で、本件遺言書は亡景雄の自書したものと認められるのであり、前項の諸点を考慮しても右認定を覆すに足りず、原判決にその主張の事実誤認が存するとは認められない。したがって、また右主張も採用できない。

7. 次に、控訴人は、カーボン紙による複写は容易に真筆と配字構成、運筆等が同一の筆跡を顕出できるし、筆圧、筆勢が不明になって筆跡により真筆かどうか判別することが極めて困難であり、偽造の危険も大きいから、この複写による場合は自書に当たらないと解すべきであると主張する。

しかしながら、カーボン紙を用いることも自書の一つの手段方法と認められるというべきであり、原審及び当審鑑定の結果に照らすと、カーボン紙による複写であっても本人の筆跡が残り筆跡鑑定によって真筆かどうかを判定することが可能であって、偽造の危険性はそれほど大きくないことが認められるのであるから、原判決説示(八枚目裏一〇行目から九枚目表五行目まで)の諸点とも照らし合わせると、カーボン紙により複写した場合も自書に当たるものと解するのが相当である。

したがって、この点の控訴人の主張も採用できない。

よって、本件控訴は理由がないので、主文のとおり判決する。

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